大切なもの
人と人は日々、
「出会い」と「別れ」を繰り返してるという歌詞との出会い
3ヶ月前、大きな「別れ」を経験しました。
そして同時に「出会い」も経験しました。
そしてまた遠くで「別れ」が私を待っています。
「別れ」の前、
この人は私にとって、とても大切だなって、大切にしなきゃなって
何度も何度も心の中でかみしめていた…はずなのに
やっぱり、本当の大切さってのはいなくなってから知らされるものでした。
とても儚い。
あることが、いることが当たり前になってしまう
だからこそいなくなってみないと本当の大切さは分からない。
よく恋人同士が「空気みたいな存在です」なんていうけど
そんなのは悲しい。いなくなってから知る大切さなんて悲しすぎる。
だから、出会った時からちゃんとその人の大切さをかみしめて
できる限りその人の存在を感じながら「別れ」の時を迎えたい。
I love you の訳し方
私の愛読書である「I love youの訳し方」という本のおはなし
有名な文豪、夏目漱石が
「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した。
ここ最近英語中心に生活していたため、
日本語の繊細さにきづかされた。
日本語は時間や季節のうつろい
心情にあわせた細やかなニュアンスを使い分けることができる。
言葉には無限の表現があり、使う人によってそれは異なる
また同じ文章を読んでも味わい方は人それぞれ。
毎度のことながら、なんて奥ゆかしい言語なんだろうと思わされるる。
表現は言葉遊びであり、その人の性格をもあらわす。
こんなおもしろいツールは言葉だけである。
数あるお気に入りのうちの1つ
もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私の
この胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです。 太宰治
一旦ついてしまったろうそくの灯は強ければ強いほど、その相手に熱中していればいるほど、自分では制御できなくなってしまう。
恋の気持ちをろうそくに例える表現がとてもロマンチックである。
もう青春は終わったと思っていたのに 有吉佐和子
青春とは具体的に決められた期間はないと思う。後から振り返って、あれが青春だったと思った時、ようやく自分の青春を判別する。 多くは学生時代というが、たまたまそれが学生時代であっただけであり、青春は一度きりではない。
どんなに歳をとっても。恋をすれば盲目になるし、生きることが楽しくなる。
これを青春と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろうか。
私もよく学生時代を振り返って、青春の懐かしさに思いふけることもあるが、前を向いたら案外すぐそばに青春を見つけることができるのではと期待したい。
ろうそくと人生
今日なんとなくろうそくを買って、
なんとなくろうそくに灯りをともしてみました。
ゆらゆら揺れる灯りをみていて、
昔大切だった人に言われたことを思い出したので書き記しておこうと思います。
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人生はよく「ろうそく」に例えられる
「炎を灯した」ときが「産声」をあげたとき、「炎が消えた」ときが「人生の終焉」
そして炎が消える現象は2つあって、1つは「蝋がなくなったとき」つまり「寿命を全う」したということ。もう1つは「吹き消されたとき」つまり「事故などの突然訪れる最期」だという。
ろうそくは炎を灯されたときから終焉までひたすら、やすむことなく燃え続ける。
それが炎が灯された瞬間から生じる「ろうそくの使命」
”あなたはどうですか?”
”どのように「今」を生きていますか?”
”毎日轟々と燃える炎である必要はありません。ときには消えそうなほどの炎でもかまいません。毎日穏やかで小さな炎でもかまいません。しかし、自ら炎を絶やしてはいけません。”
”ひとはみんな炎を灯し続けているのです。みんながみんな生きながら輝いているのです。”
”その灯りが時には、迷子の他人の足元を灯すでしょう。時には、真っ暗闇の中で迷子になった自分を照らすでしょう。だから灯りをともし続けなさい。”
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「今」の私の問いに対する答えは、一生懸命とはいえない気がします。自分が生きていることが当たり前、息をしていることが当たり前で、そんな当たり前な生活がまた明日も目が覚めたと同時にやってくるのか。と思い眠りにつく。そんな毎日です。
炎を灯されたからには終焉のその日まで、意味のある灯をともしたい。
時には他人を暗闇から救えるような灯を。と思った11月22日のよるでした。